駒井家の不登校6 【サッカーのコーチになる】
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サッカーのコーチになる
息子が一人暮らしを終えてからのバイトはまずは鳶職でした。その後は、焼肉屋のホール、パチンコ屋のホール、早朝の市場で魚屋のトラックでの配送の仕事、工場の流れ作業、など、通信制の高校に通いながらいろんな仕事をしていました。結構な数のバイトを通して自分に合う仕事は何なんだろうと模索していたようでした。
ところがある時、息子は小学校の時にサッカーを一緒にやっていた友人に誘われて母校に遊びに行き、ひょんなことからサッカーのコーチを引き受けることになりました。その出来事がのちのち将来の仕事を決めるきっかけになったのですから人生とはわからないものです。
息子にとってコーチで一番楽しかったのは、子供達の成長に関われるということ。それにハマってしまったのでした。息子は子どもたちがどうしたら上手くなるのか自分なりに必死に研究してコーチ業に夢中になっていました。子どもたちからは「アニキ、アニキ」と慕われコーチというよりも親戚のお兄ちゃんのような存在だったようです。親御さんたちからも支持され、本当に素晴らしいチームを作っていました。今でもその頃に出会った子どもたちと遊びに行ったり、ご飯を一緒に食べたりしています。ちなみにその中にはプロのサッカー選手になった子もいます。
息子は高校を卒業してからも仕事をしながらいろんなところでサッカーのコーチを続け、ゆくゆくの仕事にしようと思っていました。ですから子どもたちを指導するためのスポーツの専門学校にも2年間通っていました。しかしながら、コーチ業の数はそもそも少なくて、サッカーで有名な選手でもない息子を雇ってくれるところはありませんでした。泣く泣く断念せざるを得ませんでした。
その道を一度は諦めてサラリーマンになったのですが、どうしても子どもたちを育てることを諦めきれなかったのでした。そしてある日「俺、教師になる。」と息子の爆弾発言が・・・。
つづく
※このブログはTeska Terraceを身近に感じていただけるようにと思って理事長の駒井が書き綴っております。