history

ヒストリー

なぜ、駒井親子はTeska Terraceを作ったのか。
それは、2人の人生が深く関わっています。

校長 優一の物語01

小学5年生のとき、授業中に優一は思った。
「どうして僕はまだわかってないのに、次に進むんだろう?」
それは生まれて初めて、先生という大人に疑問を持った瞬間だった。

中学1年生のとき、優一は思った。
「将来のために校則を守るとは、どういうことだろう?
どうしてサッカーで勝つためには、スポーツ刈りにしないといけないんだろう?」
先生は、その理由を教えてくれなかった。
学校の外に出たら、おもしろい大人に出会えた。中学生ではない、「僕」と話してくれた。
だから学校へ通うことをやめた。何のために生きているのかわからなかった。
いつ死んでも構わないと思っていた。

28歳の時、優一は決断した。
いろいろな職業を経験して理解したことがあった。
それは、「大人よりも子どもと過ごすことが好き」ということ。
子どもたちの笑顔のためなら何でも出来ると思った。
この情熱は、他の仕事では得られなかった。
だから、学校が大嫌いだったけれども、もう一度教師として学校に戻ることを決めた。

教師1年目、優一は思った。
「子どもたちにとって、面白い大人でいたい」だから、学校の外へ学びに行った。
そこには、素晴らしい教育者や切磋琢磨できる教員仲間とたくさん出会うことができた。
学んだことを少しずつクラスに取り入れ、微調整を繰り返した。
力がついてくると、学級崩壊のクラスや問題のある子を率先して引き受けた。
どんな子であっても、教室に居場所がある安心感と、
やりたいことをのびのびできる喜びを感じてほしかった。

学校は「型にはめる」場所ではない。
「幸せに生きるための術を身につける」場所だ。
だけど、寂しかったのは、学校の中で一人も賛同してくれる教師がいなかったこと。
学校は変わらないし、変えられない組織だと痛感した。

教師9年目、優一は悩んでいた。
再び学校が嫌になりそうだった。
そんなとき、母(亨衣)から「未来の社会で幸せに生きられる人を輩出できる学校を作ろう」と声をかけられた。

理事長 亨衣の物語01

亨衣は悩んだ。
子どもが2人そろって不登校になってしまった。
ある日、突然「学校に行かない」と言い出したのだ。
「私の子育て、何が間違っていたのだろう」と思った。

不登校について、子育てについて、多くの本を読み、親の会や講演会に足を運んだ。
2年たってわかったことは、
子どもを信じ切る覚悟を私が持つ必要があったということだった。
すると、子どもたちは自分の人生を、自分の力で切り開き始めた。

亨衣は思った。
「子どもは何も悪くない。大人と社会と教育が変わるべきなのだ」と。
いつか学校のような場所をつくると決めた、25年前のこと。

亨衣は悩んだ。
父の会社でパート勤務を始めると、自分のように苦しむ大人がいた。
父は社員を型にはめ、縛り付けるような経営をしていたからだ。
だから自分が社長になって、
みんなが「ここで働いていて幸せ」だと思える会社を作ろうと決めた。
必死に働き、学び、良いと思ったものは何でも取り入れた。
たくさんの失敗もしたけれど、結果、
みんながやりたいことに挑戦できる、安心・安全な場を作ることができた。
すると、社員の姿勢も前向きに変わっていき、業績が見る見る上がっていった。

亨衣は思った。
「社員教育も、子育ても、同じではないか。」
幸せに必要なことは、学歴や規則ではなく、信頼と自立だと確信した。
しかし周りを見渡せば、社会に出た後も型にはまることを強いられ、
自分らしく生きられず苦しんでいる大人がたくさんいた。

亨衣は悩んだ。
大人も、子どもの頃に傷ついている。
そして今の子ども達も苦しんでいる。その状況が耐えられなかった。
これからは「社会で通用する学び」が必要だ。
心から、そう思った。
そんなとき、学校も先生も大嫌いだった息子が、教師として日々挑戦している姿を知った。
息子(優一)の、子ども達と関わる姿勢を見て、心底驚いた。
亨衣の叶えたい景色が、そこにあったから。

「学校を一緒に作ろう」
声をかけない理由は、何一つなかった

中学時代に不登校だった息子と、業界No.1の経営者であった母。
二人の夢は、「子どもたちが未来の社会で幸せに生きていけること」。
2020年5月にプロジェクトを立ち上げ、学校用地としてさまざまな場所を検討し、最終的に吹田市に決定。
2人とも北摂での生まれ、育ち、そして職場であった。だからこそ、北摂で学校を作りたいと思った。
2025年4月にTeska Terraceは大阪府吹田市で開校します。

Team

Teska Terrace
設立チーム

  • 駒井優一

    Teska Terrace 校長

    茨木市出身/双子の父/元小学校教員

    中学時代に不登校を経験し、通信制高校に進学。さまざまな仕事を経験した結果、教育が好きだと気付き、27歳で小学校の教員に。未来の社会で幸せに生きられる人を一人でも多く増やしたいという思いから、9年間勤めた教員を退職し、Teska Terraceを開校。

  • 駒井亨衣

    Teska Terrace 理事長

    お母さんの味方「傍楽」代表/元経営者/茨木市出身

    父の会社を引き継ぎ、業界No.1の会社に成長させる。しかし、子ども2人ともが不登校になり、その経験から不登校支援団体「傍楽」を設立。未来の社会で幸せに生きられる人を一人でも多く増やしたいという思いから、Teska Terraceを開校。

  • 川田隆司

    Teska Terrace 役員

    大阪市出身/株式会社ナオミ元代表取締役社長

    ナンバー2代表/働く若者の支援活動を行っている

  • 高岸達哉

    Teska Terrace 役員

    京都府出身/京都信用金庫人事部長

  • 舘優

    Teska Terrace スタッフ

    3児のママ。アメリカ・ハワイパシフィック大学、メリーランド大学大学院卒。

    海外での経験を生かし、医学部英語講師、小学生やママ向けに起業家講師などに従事。
    ビジョントレーニング2級、全国webカウンセリング協議会児童心理カウンセラー取得。

デザイン

  • 京都工芸繊維大学

    空間デザイン

    テスカテラスの土地探しの時から約2年間親身になってご協力いただきました。学生さんの感性を生かしたアイディアが校舎に詰まっています。

  • 濱田デザイン

    建築設計

    学生さんのアイディアを形にし、子どもたちにとって心地よい空間を一緒に考えていただきました。
    濱田デザインホームページhttps://hamada-design.com/